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zoom RSS ディック・スミスの微笑ましい来日秘話

<<   作成日時 : 2009/11/02 22:16   >>

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IBMAでの写真にも写っていたディック・スミスについて、思わず爆笑してしまった来日秘話をスコットから聞きました。彼が初来日した74年、今でも忘れられない大事件(?)が起きたそうなんです。


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以下の話は、スコットが本人から去年のIBMAでも今年のIBMAでも聞いた話です。たぶん今では彼の持ちネタ(?)になっているエピソードだと思うので、どこまで話が大きくなっているかは不明ですが、あまりに笑える話だったので、スコットが本人に「日本のブログで話していい?」と許可をもらったそうです。

さてさて、彼の話では1974年(年号が会っているかは皆様からの情報をお待ちしております)、Del McCoury Bandのメンバーとして、初めて日本を訪れたそうです。大事なライブ(レコード用にライブ録音をする予定だったとか)の前日、バンドはある楽器店でインストアライブを行ったそうです。1回目のセッションを終えたとき、ある一人の男性が話しかけてきました。何かを尋ねているようなのですが、ディックには正確な意味が分からない。でも、そのジェスチャーから、どうやら彼のフィンガーピックに興味を持っているらしいと思ったディックは、フィンガーピックを指からはずし、その男性の手のひらに乗せてあげました。するとその方は、目が飛び出るほどビックリした様子を見せたあと、それを持ってそのまま帰られてしまったんだそうです。

きっとプレゼントされたと思ってしまったのでしょうね。 ディックはただ呆然して、その方を引き止めることもできず見送ってしまったそうです。(笑)  ツアー用に調整してきたピックを失ったディックは、翌日のライブ録音も残りのツアーもスペアのピックで乗り切ったそうですが、「僕は今でもあのピックを返してもらいたいんだぁ!」と(もちろん冗談で)言っているそうです。

万が一、「それ、私です」という方がこれを読んでくださったら、ぜひご一報くださいね〜。 もちろん、もう時効。今ではディックも楽しい思い出として話していますから心配は無用です。スコットがこの話をブログでしていいかと本人に聞いたときに、「もしもその人が勇気を持って名乗り出たら、直筆の手紙か何かくれる?」とも尋ねたら快くOKしてくれたそうなので、万が一、このブログを読んでくださったら、商店街のクジに当たったつもりで連絡くださいね!






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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
うわー、すごい!そのピックは、きっとNationalの古い物だったのでしょうね。その人がものすごくビックリしたのは当然ですね。しかし、ディックさんは、そんなものすごく大切にしているピックを、間違って持って行かれてしまっても、あえて取り戻そうとしなかったというのは、世界的にもそんなにない「深いい話し」だと思います。(人間業ではないのでは)

2009/11/03 07:47
そうですね。バンジョー・ピッカーの皆様、これは「深イイ〜」ですか、それとも「ウ〜ン」ですか? 30年以上たってその人がみつかったなんて話のオチがついたらとても素敵だと思うんでけどね。
R
2009/11/03 08:31
Del McCoury Bandは見ることができませんでしたがカントリージェントルンマンは見たような気がします。でも30年以上も前のこと、確か背中にウッドベースをかついで後ろ手で弾いていたような???
稲さん松さん失礼しました。何しろパソコンは決死の覚悟がいるものですから。ビルモンローやはりそのころ来日しています。中野サンプラザで見ました、しかし長野市にも来たのです。おそろしい事に私の妹は飯田市から電車を乗り継いで長野市まで見に行きました。30年以上も前の女子校生でした。

2009/11/05 21:58
Kさん
おひさしぶりです。私は、70年代にはまだブルーグラスやバンジョーと出会ってなかったのですが、「その頃」は、ビル・モンローをはじめ、ドン・レノ、ジミー・マーチン、ニューサウスなど来日ラッシュだったようですね。うちの本棚の中に先輩からいただいたビル・モンローの来日公演のパンフレットがありました。

2009/11/06 01:45
Kさん、書き込みのために苦手なコンピュータに向かってくださってありがとうございます。 30年前の長野県って民放TV局は2つしかないし、商店街も6時といえばみんな閉まってしまうような僻地でしたよね。(東京から越してきて、カルチャーショックを受けました) 飯田から長野へ行くのもきっと半日じゃ済まなかったでしょうね。

松さん、パンフは奥様に捨てられずに残ってたんですね。(笑) 70年代半ばというと、私はカーペンターズから入って洋楽の世界にふれたばかりの頃かなぁ。。。
R
2009/11/06 09:01
ではでは続きを 必死で
ビルキースはトニーライスやデビットグリスマン等いろいろな組み合わせで来日していたと思います。ビルキースとトニーライスには2度仰天させられました。1回めはトニーが弦を切った時、でもちゃんと弾きこなし にこっと笑ってビルを見ました。ビルも にっと笑ってリードに入ってゆくトッププレヤーの呼吸が聞こえてきたようでした。2回目は演奏が終わりビルが客席に向かって帽子をとって挨拶してくれた時。お気に入りのデニムの帽子をとったら髪の毛が・・・
そんな憧れのビルキースと話ができた松さんて幸せだと思います。

当時はどこに行ってもアメリカの音楽特にカントリーミュージックにであう時代だったのかもしれません。もっとも神田川は流行っていたかもしれませんが・・・・

稲さんいつのころかわかりませんがNationalのピックって復活していたんですね、知りませんでした。

Rさんこれで少し安心しました。Rさんは東京からいらしゃたのですか、当時はカタツムリが一日どのくらい進むのか見ていられるくらいのどかな毎日でした。私の友人のオートハープ弾きは小学生の時、山道を1時間半 熊やら・いのししやら・まむしやらと対決しながら学校へ通っていました。
ブルーグラスという言葉がとても快く感じられたのも分かるよな気がしますね。
K
2009/11/06 20:52
Kさん
そのビルキースなら分かります。
NP2と言うNationalのピックが出ていまして、オリジナルの物によく似ており、なかなか良い音が出せます。今私もそれを使っています。

2009/11/06 21:24
Kさん

これでもう「コンピュータは苦手」なんておっしゃっても、もう誰も信じませんよ。 私は東京都台東区生まれです。松本へ引っ越してきたら、裏の田んぼでカエルが大合唱しているのにビックリしました。アメリカへ留学したときよりも、カルチャーショックでした。(笑)飯田へはずっと昔、友人の結婚式で行きました。今は鼎上山という所に住んでいるようです。
R
2009/11/08 10:13

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